愛は見えない
最近インスタのリールで流れてきたドラマの一場面で
「愛情ってなに。目に見えないし聞こえない。言葉だけじゃ伝わらないんだよ!」的なことを彼女役の人が怒っていた。
確かに見えないなーなんて思っていたわけだが、実家にちょうど帰ってきた自分は、親からの愛がたくさん見えることに気づいた。
自分の部屋に入ると掃除されていて、見たことない布団カバーとシーツが敷いてある。
机の上にはこれまた見たことないパジャマが置いてある。
自分は長期休みにしか実家に帰らない。
こいつらが俺に使われるのは一年で1ヶ月にも満たないくらい。だけど両親は俺が帰ってくるからと用意をしてくれていた。
そして帰るたびに美味しいご飯がある。
自分が帰ってくるからとみんなで食べずに残してくれていたふるさと納税のかにとか、親戚のくれた果物を取っててくれたりとか。
お肉の日とお寿司の日が必ずあるのは俺の好みを知ってるから。
考えれば考えるだけ愛は形として見ることができる。あとはそれを愛が形になったものだと気づけるかどうか。
「愛は見えない」とは愛そのものが見えないものということではなく、わたしには愛が見えてないってことなのか…なんて思ったりしたわけ。
愛を見ることのできる目でありたいし、愛を見せてあげられる人間でありたいね。